「鮭の聖地」の物語根室地域での人と鮭の関わりは、縄文時代から連綿と続いています。日本最大の竪穴住居跡群である標津遺跡群(標津町)から出土する多数の鮭の骨は、1万年前からそこで暮らす人々が、鮭の利用を重視した暮らしを送ってきたことを今に伝えています。遺跡のすぐ側を流れるポー川は根室海峡へと注ぎ、海上交通により、知床半島、根室半島、そして対岸の国後島と、鮭を求めて訪れる根室海峡沿岸地域との往来を支えていました。創る北海道の東端に位置する根室地域は、知床国立公園をはじめ、4つの自然公園を抱え、サンマ・サケ・ホタテ貝等を主体とする水産業と酪農が盛んな地域です。この地域の根室海峡沿岸に位置する標津町をはじめ、根室市、別海町及び羅臼町の1市3町が文化庁に申請した2年6月に日本遺産に認定されました。今回は魅力溢れるこの「物語」を通じ、地域のブランド化と活性化に挑む、官民協働による取組を紹介します。「”鮭の聖地」の物語“が令和今から約千年前、オホーツク文化の後裔であるトビニタイ文化人は、春や夏は根室海峡沿岸各地で暮らし、鮭漁の行われる秋に標津に集まるという、1年のサイクルの中で根室地域全体を一つの生活圏とする暮らしを形成しました。江戸時代に入り、和人が北海道に進出する中で、各地に漁場が開かれ、根室海峡沿岸地域は、高品質な鮭漁の拠点になりました。当時、鮭は高級魚であり、特に根室地域の鮭は質の良さが認められ、徳川将軍家にも献上されるほどだったそうです。明治11年には別海缶詰所が開設され、根室の鮭製品は欧州へも輸出される一大産業として成長していきました。画像:積丹ジン火の帆(HONOHO)KIBOU▲伊茶仁川とポー川の間の台地上に画像:根室海峡▲ポー川史跡自然公園の集落と空から撮影したポー川形成された史跡伊茶仁カリカリウス遺跡11ねむろちいき根室地域「鮭の聖地」の物語根室海峡一万年の道程
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